いたいのいたいのとんでゆけ
いたいのいたいのとんでゆけ 著:三秋 縋
三秋縋先生の作品2018年4月現在発刊されているものを全て読んだ。
この作品後一番最後となった。
さすがに全て読んでいるともはや最初の数ページ読むだけでなにがどうなるのかというのは予測できる。
三秋先生というのはそういう類の作家だ。
もちろん貶しているのでも褒めているのでもない。
物語は大抵毎回同じ傾向にあるということが言いたいだけだ。
三秋先生の良さはその描写が一番で、次に展開の持って行き方だと思う。
ストーリーももちろんいいが、そこが全ての作家ではない。
だから先が読めていても問題はさしてない。
さて本作もそんな期待に違わず素晴らしい描写を見せてくれている。
読むのが楽しみで仕方ないほど、素敵なセンテンスで埋め尽くされていた。
それらに触れるたびに三秋先生の作品を読めてよかったと心から感謝できる。
『いたいのいたいのとんでゆけ』はタランティーノを彷彿させるくらい徹底的な暴力描写で構成されているのが特徴だ。
作家としてそういう描写に挑戦したかったという気持ちももちろんあるのだろう。
痛々しさは充分伝わってきたのだが、鋏で骨が見えるほど小指を傷付けられているわりには元気だなとか、そういう「~の割には元気だな」という感想が次々沸いた。
そんな怪我をしたことがないから分からないが、恐らくもっと動けなくなるんじゃないだろうか?
絶望に次ぐ絶望。絶望の連続という意味では今のところ著作中一番ではないだろうか?
そしてここまではっきりその絶望に対して復讐するの本作のみだと思う。
また偶然に頼りすぎな気もした。
ある程度は仕方ないにせよ、ちょっと都合よく(都合悪く?)偶然が重なりすぎ。
偶然は一作品に多くても二つまでかなと思った。
まあ「君に恋をするなんて、あり得ないはずだった」みたいに偶然ばかりの作品でも笑って過ごせるタイプのものもあるので、一概には言えないが。
三秋先生の作品は読者に共感を持たせるために絶妙なバランス感覚を持っていて、不幸でもそれをうちに秘めて爆発させないものが多い。
しかし本作品はかなり爆発させているので、そこにはちょっと共感できず引いてしまった。
悲観と絶望を感じさせながら復讐なんてせずに読者を納得させる三秋先生マジックがなかったかなと思うと残念ではある。
もちろんこういう作品も著作の中には会ってもいいとは思うけど。
そういうところを差し引いても本作はやはり素晴らしく、買うに値するはおろか安いくらいだし、是非読むべき作品である。